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                                                           就職                                                 


高校卒業と同時に東京のフジフードに就職して

一年も経たない内に退社したり、

霞ヶ関ビル内の森永の喫茶店、

日比谷の公園内にあるレストランで

出張バーテンダーをしていたり、

湯河原のレストランに行ったりしていたのは、

当時チーフが上がる(辞めること)と、

一緒に着いていく習わしがあったから、

常にあちらこちらに出没していたが、

さすがに振り回されているのがイヤになり、

地元の仲間から誘いがあり、

名古屋市中日ビルの五階のレストラン

(結婚式場がある)に勤めたり、

地元のレストラン

(ボーリング場やスケートリンクが備わっている

スポーツセンター内)

に勤めていたが部長との喧嘩が元で辞めてしまった。


その間、德が
20歳の時に祖父が亡くなった。


亡くなる前の晩に祖父の枕元に呼ばれて

「お前は喧嘩早いから、
1分や2分焦るな」

と遺言のような言葉。


高校時代から口癖のように

「お前は上に立つ人間ではない」


「女癖が悪いから手相を見るな」


と耳にタコが出来るくらい言われてきた。


祖父は私の気性を良く分かっていたようだ。

それもそうだ。

祖父は気学鑑定を仕事にしていたからだった。


魂が抜けたように德は
22歳からパチンコ人生で一年間、

毎日、蛍の光の曲が流れるまで打ちっぱなし、

夜中には麻雀、その後は飲み屋、

また朝
9時に起きて、

喫茶店に行き、

マッチをもらいパチンコ店にまっしぐら、

前日の看板台にマッチを置き、

蛍の光の曲が終わるまで

毎日毎日遊びほうけていた遊び人人生。


だがパチンコが電動になり始めてきたので、

それいらいパチンコは卒業した。



親御さんが相談されても経験者語るだから、

「何でも飽きるまでやらせれば卒業するから」


と言ってあげる。











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CATEGORY[我が人生杭無し]
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【2017/08/30 07:43 】
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