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12、近い親族はどうしていたか?


お父さん兄嫁さんに謝っての冊子の中から抜粋した、その3

 

分家でも地類でも身内は、


弔いにいっさい手や口を出してはいけないという


決まりがあった。



 

たとえば、匠師が自分の家を自分で建ててはいけない。


お寺の住職が自分の家族を弔ってはいけない。


庭師が自宅の庭の手入れをしてはいけない。


教師が我が子を教育してはいけない。


医者が我が子の診察をしてはいけない。


駕籠かきはみずからの駕籠に乗れない。


というように他人のお陰を心がけていたからだった。


村のお陰だとか、隣近所のお陰を守り通していたから、


村がすんなり円満にいっていたので、


親族はいっさい手出しをせず、


ただ〔お呼ばれ〕に徹して、


「ありがとう」


と村人にお礼を申し上げるだけだった。


弔いを潤滑にするために男衆は、


それぞれの役目に分担され、


煮炊きの火の番や祭壇を組み立てる者、


また故人を埋葬する墓地を掘り起す者は、


朽ち枯れた墓標を探して掘り埋葬し、


そこから出てくる霊骨を、お寺の納骨堂に納めた。


墓標の「標」という字は、「木編に西と示す」を併せた文字で、


木を西の外れに示すから、


お寺や墓地は村の西に位置していた。


現在のように、


個人の墓を建立するのではなく、


墓標だけにして、朽ち枯れた墓標を探し、


掘っては埋葬を繰り返していたから、


墓地も増えることがなかった。


三河地方では火葬場や墓地を〔さんまい〕と言って、


村が共同で運営し、墓地を増やさない工夫をし、


村の団結心を計っていたのは、


「一個人の徳をさらけ出さず」である。


いまはセレモニー会館などで家族葬が主だから、


村人との付き合いもなく、


人を立てずに墓を建て、姉弟だけが悲しみで集まり、


立場も順序もなく勝手なことを言い合っているから、


遺産相続争いをしているので、


親族はその土地柄のセレモニー会館に


任せることも必要ではないのか


昔は遠い親戚は、訃報を聞きつけても、


やって来るのに何週間もかかった。


いまみたいに新幹線や飛行機や自動車もなく、


歩いてやって来たからで、


それも七日七日をめがけてやって来て、


ようやく辿り着いても、故人にお参りするのでなく、


村人にお礼を申し上げるためにやって来た。

 










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【2017/06/16 08:10 】
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